荒川区大好き!地元の人に愛され続ける建設会社に吹く新風

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経営者はとても孤独

 

――三芳建設さんが創業されてからの歴史について教えてください。
創業は私の祖父。今は83歳で、時々出社するぐらいですが。
――南雲さんのお祖父様である南雲芳夫さんは昭和8年生まれ、新潟の農家のご出身。小学校高学年の時に終戦を迎え、中学卒業後に大工になってひと山当てるという大志を抱いて、新潟から上京してきたそうです。
終戦後の日本の夜明けというか、日本がこれから動くというようなタイミングだったんでしょうね。きっと、子ども心にも何かを思ったんでしょう。
大工に弟子入りし、夜学に通わせてもらいながら働いていたそう。「俺は寝ずに勉強した」というのは芳夫さんの口ぐせだったそうですが、本当に寝ずに勉強したのはテスト直前の時だけだったらしいです。そして独立してできたのが南雲建設。5年後に今の三芳建設になったそうです。60年以上の歴史がある建設会社です。

私が幼い頃は高度経済成長の終わりで、会社にもっと人がいました。今の倍近く、60人ぐらいですね。たくさんの社員をどうマネジメントするかということがわからないまま、必死になって会社を大きくして、お客様の信頼を維持し続けてきたのは、大変だったと思います。三芳建設といえば、荒川区トップと言われていますので、そこまで地域の皆さんに知っていただいていることは本当にありがたいことです。多くの方に知っていただけているのは、祖父である弊社の会長の努力の証だと思います。
――南雲さんが働いてきて、大変だった時期はありましたか?
大変というか、やりがいを感じる部分はたくさんあります。社内のことについては大変だとは思ったなくて、正直、劇団で演出家をしていた時のほうが厳しいことは多かったから、『ぬるいな』と思っていました。
榎並さんはこうして経営者にインタビューされているから、よくご存じでしょうけれども、経営者や後継者というものはとても孤独なんです。つねにいろんな人から見られている。そういう意味では演出家と同じで、役者からもスタッフからもつねに見られていて、プレッシャーをかけられる演出家も、すごく孤独な存在なんです。演出家も経営者も、相談できる相手がいない。周りからは、同僚と見られませんから。
――仕事とは離れた相手に悩みを打ち明けたりはしませんか。
商工会議所や法人会には、そういう場がありますね。異業種交流で経営者同士が話し合ったり、ちょっとお酒飲んだり。でも僕はどちらかというとインドア派で、飲むのも好きではないんです。
――南雲さんは、あまり社交的ではないほうですか。
見た目は社交的なように見えるでしょう。そこそこ普通にやっているんです。でも、お互いを高めあえる仲間を見つけるには、そういった場もすごくいいと思っています。久々に会って言葉を交わしたり、仕事にかぎらず、お互いにプラスになることがあったり、そういう仲間はおかげで何人かできました。
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