体当たりのバックパッカーで世界一周した女性経営者に元気をもらった

体当たりのバックパッカーで世界一周した女性経営者に元気をもらった
久野華子さん(株式会社トライフル 代表取締役)
ここがキニナル!
私、榎並もですが、海外旅行好きにとって、このコロナ禍は本当にうらめしいですよね。そこで今回は、300日の世界一周で40ヶ国に滞在、得意の英語を生かして体当たりで70以上の国の人と交流した久野華子さんとお会いして、元気をもらいたいと思います。リアルでディープな異文化交流体験ももちろん参考になりますが、世界一周で久野さんがたどり着いた境地はどのようなものだったでしょうか?(インタビュアー:榎並千陽

「逃げちゃダメだ」と世界一周の旅へ

 

―世界一周は、久野さんのもともとの夢だったのですか?
父も若いころにバックパッカーで海外放浪して、その話を聞かされていたので、子どものときから世界一周に行くのが夢でした。でも「世界一周」ってやっぱりハードル高いですよね。危ないかもしれない、お金もかかる、時間はどうする……いろいろな理由をつけて、「老後になったらね」とあきらめていたんです。
―お父様はどんな方なのですか。
1年くらい、ヨーロッパなどを回ったみたいですが、エジプト行きの飛行機で、降りないといけないのに寝過ごして大騒動になったらしいです。そんな父からはすごく影響を受けています。海外に対する興味が強い人で、私にも3歳から英会話に通わせてくれて感謝しています。
―その夢を実現することになったきっかけは。
当時の私は入りたい会社に入り、行きたかった部署に配属されて、やりたかった仕事をしていました。女性が活躍していて、産休や育休の制度などもちゃんとしている会社です。私も入社するまではばりばりキャリアを築いていくとイメージしていました。ところが数年経って違う視点で見るようになると、キャリアを築いている方は、お子さんがいらっしゃらない方、結婚していない方ばかりだと気づきました。出産した方は産休や育休から戻るときには大変な思いをされていました。同じチームの先輩は、保育所がいっぱいで復帰の時期がずれ、何回もお子さんを連れて会社に謝りに来ていました。復帰した後も時短勤務のはずなのに謝りながら6時に退社していた姿を今でも覚えています。私よりずっとできる方なのに、なぜあんなに肩身が狭いのか、謝らなきゃならないのか。自分にもああいうことができるだろうかと考えて、無理だと思いました。
―なるほど。
それで辞める決断をしたら、お世話になっていた方に「お前、逃げてるんじゃないか」と言われたんです。
私は本来、やりたいと思ったことは反対されてもやり切る性格で、すごくしぶといんです。就活でも、理系の大学から文系の会社に就職することをみんなに反対されましたが、全部押し切って貫いた。なぜ今、自分がやりたいことをあきらめるのか。言い訳している自分と決別したいと思いました。今まで逃げていたこと、一番難しいことをやり切らないと、自分が好きなことから逃げてしまう自分になると思いました。
そんなとき、本屋さんで「世界一周へ行こう」というポスターを目にしたんです。世界一周だ、これがしたかったんだ、と思いました。世界一周に行かないと、このままいろいろなことから逃げることになる。そう思って、半年後には旅に出ました。
―半年の準備期間にしたことは?
世界一周に行くと決めたのはいいですが、半年だけ雇ってくれるところがなかなかなかったので、困って派遣のアルバイトをしていました。それが現在の仕事にもつながっています。資格をとるために学校に通っていたので、それが終わるタイミングでもありました。
―何か変わらなきゃと思っても、実際にやりたいことを見つけるのは難しいですよね。
アンテナを立てておくことはすごく大事だなと思います。
―ところで、バックパッカーで世界一周したというと、物怖じとは無縁そうですが。
いえ、けっこう引っ込み思案でした。人前で話すのにも緊張するタイプですし、母親から離れないので迷子になったことがないほど怖がりな子でした。
―社会に出たことで変わった?
大学生のころですかね。それまでは親が厳しくて自由にやりたいことができませんでしたので、大学では片端から挑戦して失敗しました。その中で良い経験や人に恵まれて、自分なりにやりたいことができたんです。理系大の工学部で、就職するのはクラスに3人くらい、ほとんどの人は院へ行って専門職に就きます。文系に就職するのはクラスで私1人で、変人、落ちこぼれと言われました。
私は負けず嫌いですから、周囲から認めてもらえないことが悔しくて、「絶対に結果で見返してやろう」と思いました。それで入った会社で、社員代表としてテレビに出たりしたころから、「あいつはすごい」と見られ方が変わった。結果だけで人の見方って変わるんだと思いました。せっかく理系の勉強をしたのにと言っていた親も、生き生きと頑張っている様子を見て応援してくれるようになりました。結果を出すことで自分の選択が正しかったと証明したかったから、すごく努力したんです。
―努力して、物怖じする性格を変えていったということでしょうか。
今でも根本は変わっていないのですが、少し勇気を出すことで一生の友達を得られたことが大きいです。誰でも知らない人に話しかけるときには勇気が要りますよね。でもそれで良い結果が出たという経験を積み重ねれば、ためらわずに勇気を出せるようになります。私はトレーニングをしてそれがわかりました。それでも、話しかけたり、何かに飛び込んだり、大声を出すときには今でも勇気が要ります。
―旅行に行ったことでまた変化したのでは?
決断力や行動力が上がったと思いますが、変化というより、もともとの自分が出てきたという感じですね。浅い付き合いの人からは変わったと言われますが、仲のいい友達には、びっくりするくらい変わっていない、私らしいと言われます。
世界一周に行ったことで、それまで縛られていた社会規範や常識、周りの期待から解放されて、いろいろな価値観があってどれも正解という気持ちになれました。表面的に合わせてきていたことが取り払われたと思います。
―きっかけになった体験があれば教えてください。
ロサンゼルスとメキシコでの体験でしょうか。
ロサンゼルスでは、現地の人と交わりたくて知人宅にホームステイさせてもらったんですが、かなり個性的な家族で、マシンガントークに圧倒されて、最初は猫をかぶって大人しくしていたんです。ところが、お友達がWEBで商品を売るというのでアドバイスしたら、「あなたには才能がある」と言われたんです。「さっきまで物怖じして小さくなっていた女の子とは別人みたいだ、仕事の話になるとすごく生き生きしている、あなたには才能があるからそれを頑張りなさい」。すごくうれしくなりました。
―自信をつけるきっかけになった。
メキシコでは、パリで会ったメキシコ人の友達の街でホームステイしていました。私は日本から来た、職もないただの旅人だったのですが、その子のおばあちゃんから声をかけられました。友達によれば、「孫の友達がすごく遠い国からから来てくれた」とすごく喜んでいると。自分がいるだけでうれしく思ってくれている人がいるのがすごく新鮮で、感動しました。日本では何か成果を出さないと価値を認めてもらえないのに、いるだけで価値を感じてもらえるなんて、と。それから、誰でもそこにいるだけで価値があると思うようになりました。
―最初の世界一周から帰ってきて、また半年後に2周目に出発したんですね。
1周目の旅行の最中から、もう1周すると決めていました。1周だけでは行きたいところに行ききれなくて。アジアをあまり回れなかったですし、1周目でブラジルが大好きになって2回行ってしまったので、他を回る時間がなくなってしまったんです。
ブラジルは開放的な気候で、国民性も親日的で、底抜けに陽気で、いつもジョークを言い合っているような感じです。最初に行ったのはカーニバルのときで、リオデジャネイロでは現地の人はずっとパーティなんです。ブロッコという路上パーティに出て、ちょっと寝てまた昼パーティ、夜パーティというのが1週間くらい続きました。
―ブラジル人って、みんなお酒強そうですよね。
強いです。ほぼ毎日カイピリーニャを飲んでいました。路上で友達になった人もいます。ブラジルで知り合った友達とはその後も結構続いています。帰国してから、カーニバルのときに路上で仲良くなった小さな女の子と男の子の写真をインスタグラムに上げたら、「その写真は僕です」と連絡が来ました。
―ブラジルのお友達とは今でも連絡を取り合っているんですね。
今でも連絡を取り合っている人がたくさんいます。ポストカードやメールをやり取りをしたり。誕生日に急に国際電話で「おめでとう」と言われたこともあります。本当に大事な友達です。
ブラジルは、行くまでは発展途上国で犯罪も多くて治安も悪いと聞いていたので、イメージが悪かったんですが、行ってみたらすごく好きになりました。落差かもしれないですね。

 

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