激動の境遇からレンタルスペース事業に挑む不動産業界の「美しすぎる社長」

 

施設の子たちの希望を目指して司法試験を受けた

若杉真里さん

―そして転機が訪れた?
23歳になったとき、自分の中で大きな変化があり、大学に行こうと決意しました。すぐに大学受験の予備校に入り、3カ月ほどの準備期間を経て、24歳で立教大学の社会人入試で法学部法学科に入学しました。
1年生のうちは毎日授業が入っていて大変でしたが、2年生からは授業のある日をまとめることもできました。大学に行かない日には仕事を入れて、働きながらスケジュール管理していました。
―立教大学を卒業して、さらに早稲田のロースクールに入られたそうですが。
今となってみると、不動産業界に入ればよかったと思いますが、当時はとにかく弁護士を目指して司法試験に受かることばかりを考えていました(笑)。弁護士にならなければ私の人生には意味がないと思っていました。
―なぜ弁護士になりたかったのですか。
やはり自分の生い立ちが大きかったと思います。先ほども話したように、養護施設の子どもたちの半数は鑑別所や少年院に送られていきましたが、心根は良い子たちばかりです。でも、自分の存在意義や自分の力を誇示するには、暴走族に入ったり、カツアゲをしたりシンナーを吸ったりという方法しかなかったんだと思います。大人になってから、そのころのことを思い起こし、少年犯罪に携わる弁護士の本を読むうちに、少年犯罪を扱う弁護士になりたいと思うようになりました。
施設の子どもたちは人生をあきらめていることが多いんです。卒園してから会うと、女の子は水商売や風俗に入ったり、早く結婚して計画性のない子だくさんで苦労していたりする。男の子はホストやボーイになっている。それらの職業が決して悪いわけではありませんが、私が弁護士になったら、他の道もあるということを知ってもらえると思いました。彼らの希望になりたいと思ったんです。
―それから不動産業界に転身。
ロースクールを卒業して5年間で3回受験しました。1回目は短答で落ち、2回目、3回目は論文試験の点数がギリギリ足りずに落ちました。その後、パラリーガルもやってみたのですが、事務作業には向いていないことがわかりました。だから弁護士もならなくてよかったのかもしれません(笑)。今思えば、不動産の方がより動きがダイナミックですし、弁護士に比べれば、誰かに恨まれるということもありません。

 
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